足利直義書状         1幅 3,240,000円

 

  小枝三郎入道宛

  貞和三年(1347)十一月二十八日付

 

ご購入はこちらから

http://jobundou.jp/?p=672

 

【社長の一品コラム】

 

  南北朝の争乱 : 足利直義と楠木正行の戦い

 

足利直義は、勢力が強くなってきた楠木正行との一戦を交えるのに、軍勢強化を図る為に小枝三郎入道に出兵の催促をした。この書状は、その時のもの。この四条畷の戦いにより、足利の安定した政権となっていった。

 

この時は、足利直義の軍勢は、楠木正行の軍勢に押され気味に戦いを続けていた。この貞和3年12月14日に北朝方高師泰が先発として手勢三千余騎を率いて京都から河内に向かい、次いで26日に高師直も七千余騎を率いて河内に向かい、八幡に陣を構えた。その後、正月2日に高師泰は2万騎で堺付近に陣を移動し、続いて高師直も陣を八幡から四条畷に移し、全体的には五段の陣形を張った。正月5日に南朝の楠木正行と四条隆資の連合軍は、まず、楠木正行と弟正時が三千騎で高師直の本陣に攻め入る。それを飯盛山に陣を張っていた北朝の県下野守が援軍を出すが敗れ、同じ北朝側の武田伊豆守も四条畷から援軍を出すが敗北する。

 

しかしながら、南朝の楠木勢も大きな痛手を負うが、楠木正行兄弟は三百騎で再び、高師直本陣に攻め入るが、楠木兄弟は大きな痛手を負い敗退することになった。この後、高師直は大和に入る。南朝方は、この戦により大きな痛手を負って勢いもなくなり足利の勢力が強くなる。

 

2019/1/31 (河島一夫)